いつも当社を御愛顧いただき、本当にありがとうございます。
東日本大震災から8年目に入りました。震災の年に生まれた次女も今は小学一年生、元気に通学しております。また、当時3歳だった長女も小学校四年生です。当時の事はあまり覚えていないようですが、毎日家族が一緒にいて蝋燭の下でご飯を食べたのは覚えているようです。
不思議なことに私の娘たちは震災の年に生まれています。長女は岩手・宮城内陸地震の時、そして次女は東日本大震災の年に生まれました。どちらの地震の時もつらい時期ではありましたが、私にとってはかけがえのない命を授かった年であり、「震災に負けずに前を向いて頑張らなくては」と力をくれたのもこの二人の子供たちなので不思議なものですね。
そして、そんな家族とスタッフと共に元気に仕事ができ、平穏な日々をすごせるのも震災からずっと当社を支えていただいているお客様のおかげです。本当にありがとうございます。
震災の日の事は当時のスタッフは鮮明に覚えているようです。
瓦礫を集め、薪ストーブでまかないをつくった日々。また、物資を詰めてトラックで沿岸に援助に行った日々などを思い出します。ただ、少しづつ辛い思い出が少しづつ遠い思い出に変わりつつあるのも未来に向かって進んでいるおかげなのかもしれません。
しかし、当社では3月11日には毎年社員全員で避難訓練を行っております。当時、スタッフ達がパニックになってしまいお客様をきちんと誘導できなかったという猛省から、また震災から皆様にいただいているご恩を忘れないための大切な行事にしております。
8年という月日は世嬉の一を大きく変えた時間でもあります。
震災の翌年には先代から社長を引き継ぎました。
多くの若いスタッフも入社してくれました。
社内外に一緒に前を向く多くの仲間ができました。
ビール工場が河川工事にかかり引っ越しと共にちょっと拡張工事ができました。
世嬉の一としては初めて、新店舗ビアカフェを平泉町に出店しました。
いわて蔵ビールは国内だけでなく、海外にも販路は広がっています。
スタッフ中心にお客様還元イベント「いわて蔵ビール周年祭」「世嬉の一蔵祭り」を開催するようになりました。
昨年は当社の100周年記念事業をスタッフ中心に行いました。
8年目に向かう今年、やっと震災から行っていた全ての蔵の修復工事はひと段落します。
最も変わったのはスタッフのありようです。8年目の今は、16才から77才まで一緒に働く組織に変わったことです。若返りをおこないつつ、先輩方の力が発揮する会社になってきたと思います。
この8年間いろいろなことで悩み様々なことに躓き、多くの事を気づかされ、失敗しましたが、確実に前に進むことができました。様々な事があっても多くのお客様から支えられているからこそ前に進めます。本当にありがとうございます。
私が先代からこの会社の経営を引き継いだ時、一つの約束をしています。「この蔵の風景はこの地域の人のもの、たまたま世嬉の一が管理しているだけだから、借金してでも残せるなら残しなさい。」というものでした。確かにこの蔵は国の指定文化財、そして二度と作ることができない(技術的に、費用的に、法律的に・・・)蔵であることはわかりますが、経営者として修繕を行う事に迷いがなかったら嘘になります。一つくらい取り壊したら・・・と思うことが何回もありました。壊すのは簡単ですが残すことはなかなか難しいことです。
ただ、先代のいう蔵を守り、蔵を活かし、地域の人たちの記憶に残る風景を残すという事も大切なのかもしれません。先代が大切に守ってきたものの意味が少しづつわかるようになりました。先代は蔵だけに限らず、経済性と異なるものだけど目に見えにくい、心に大切な何かを世嬉の一として大切にしなさいという事を伝えたいのだと思います。最近その何かがやっと感覚としてわかってきた感じがします。
ただ、私たちの会社はまだまだ脆弱な地方企業。困難は多々ありますが、お客様と共に進んでいきたいと思います。
今後は、さらに、当社の名前の由来通り「世の人々が嬉しくなる一番の酒造り」を目指すと共に、皆様との繋がりを大切にしつつ、よりお客様が喜ぶサービス・商品づくりに努めていきます。そして私たちの活動がすこしでも地域に様々な形で貢献できるよう努力し続けます。
いつも変わらぬご愛顧本当にありがとうございます。今後とも何卒よろしくお願いします。
平成31年3月11日
世嬉の一酒造株式会社 代表取締役社長 佐藤 航
いつもご支援いただいている皆様へ
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震災当時の一コマ レストランの前での炊き出し風景
震災から2カ月後の家族写真