2022年05月29日(日)
酒蔵復活プロジェクト徐々に出来上がってきています。
毎日気持ちよいくらいいい天気です。時々土砂降りで・・・岩手にいながら南国のような気候になってきたなぁと感じている日々です。
さて、今月から始まっている酒蔵復活プロジェクト。この地(旧一関地区)に地酒蔵がなくなって40年近く。実際に他の蔵も旧一関市内にはなくなってしまったので、本当に酒蔵空白地域になってしまいました。(現在、磐乃井さんがあるだけです)
そんな中で当社で行っている酒蔵復活プロジェクト・・・徐々に出来上がってきています。
先日は、荷下ろしから糀室づくりを行っていました。
様々な機械がどんどん卸され、工事業者の方々が忙しそうに運んでくれています。
ただ、ここに酒蔵を復活させたいということでいろいろやっていると・・・問題も出てくるのですが、最大の問題が扉が小さく、機械が入らないとのこと・・・
そこで、追加で壁の工事&大きな扉をつくることになりました。
予想外の出費ですが、仕方がないですね・・・
そのおかげで、徐々に酒蔵ができてきております。
最も大切な糀室、工場で一番予算を取りました。きれいで、大きな糀室です。
昔の自分だったら観光客の方々を考えて杉板貼ってくださいというところですが、今回は余計なことはしません。衛生的に維持できる方がいいので、新しい素材のままです。100年前の蔵に超合理的な酒蔵作るほうが美味しくなると考えています。だから、余計な飾りは今回はしないのです。
入り口をあけると宇宙船のようにステンレスで囲まれた部屋。清掃しやすいですね。
中も同様です。この中で糀造りが始まります。
楽しみですね。
搾り機も来ました。本当は薮田式の搾り機が欲しかったのですが、価格が高いのと、現状では、月に2-4回しか絞らないので、衛生管理はこちらの方がしやすいですよというアドバイスでこちらにしました。この搾り機のあるところの周りは来週から部屋に加工し、いつでも一定の低い温度で搾れるように品質を安定させれるようになります。
甑も来ました。お米を蒸かすものですね。そのほか、こまごまとしたポンプや機械類などが来ています。楽しみです。来週からさらに工事が始まり、7月には完成する予定・・・遅れそうな雰囲気ですが・・・
祖父が急逝し、世嬉の一が倒産するという噂がたったのが私が中学2年生でした。父は、自分のやっていた会社(自動車学校)を売却し、醸造量が少なくなった酒造を共同醸造(他社の酒蔵にお願いして醸造してもらう)とし、酒造を行っていない蔵に売却したお金にさらに借金をし、蔵をリノベーションし世嬉の一は生き残りました。当時珍しかった、蔵を改築したレストラン(現蔵元レストラン世嬉の一)、地ビール(いわて蔵ビール)博物館(酒の民族文化博物館)、売店(酒の直売所)などを作ったのです。リノベした当初は来月世嬉の一は倒産するらしいよという噂が絶えなかったそうです。
私も実家に帰った20年前、いつかこの地で酒造りを復活させたいと思っていましたが・・・とうとう形になってきました。父も生き残るために共同醸造に変えたといってもいつか酒蔵復活させたいと努力していた人です。ビール工場はすぐに作ったんですが(笑)
親子2代の夢がかないそうです。
いやー・・・ちょっと緊張というか、怖いです。
でもここまで来たので、一関の地酒を復活させ、地域の人に愛される酒蔵にしたいと思います。
また、酒蔵の経過をご報告しますね。
今日も世嬉の一は、酒蔵復活にむけて今日も元気に営業中です。
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Posted by sekinoichi at 06:23