世嬉の一酒造

蔵元だより

大吟醸 世嬉の一 720ml

カテゴリー:お酒

2022年06月28日(火)

地酒復活ですが、良い出会いで、海外も視野に入れています!たぶん・・・

昨日、アメリカで日本酒、クラフトビール、ジンや日本の食文化を紹介・販売するスズキマーケティングのリチャードさん(中央)が来てくれました。アメリカから来日されていたので、当社にお寄りいただきました。

もちろん、酒蔵の見学と今後の展開についてディスカッションのためです。

紺色のTシャツの男の子は、元当社の社員の今野君。当社で蒸留の仕事やビール醸造を行っていましたが、奥様がアメリカ出身で、家庭の事もあり奥様のご実家に行くことになり退社した若者です。

(ジンを蒸留する今野さん)

彼から、会社を続けたいけど、家庭も大切だから、奥様のために退社して渡米すると相談を受けました。その時に、今野さんと話しているうちに・・・以前、JETROの商談会でサンフランシスコでお会いした、スズキマーケティング様を思い出したのです。

そこでひらめきました!
今野さん、うちの酒とかビールをアメリカで紹介できる仕事をしたらと・・・彼も乗り気になってくれました。

さっそく、スズキマーケティングの鈴木様とFaceBookでつながっていたので、さっそくZOOMで今野さんを雇ってくれないか、もし雇わらなくても勉強させてくれないかと頼んだのです。

スズキマーケティング様も快く引き受けてくれて、そこから準備が始まっています。

工場できる前に、なぜかアメリカの販路ができた瞬間でした(笑)

今野さんには、渡米する前に酒造りも知ってもらおうと体験醸造勉強もしてもらいました。

糀室でがんばる今野さん

(全国地ビールフェスの前掛けで櫂入れする今野さん)

さて、リチャードさんは非常に気さくな方ですが、酒に関しては造形が深く、アメリカのライフスタイルにあう、日本酒の開発、古酒の開発、スパークリング酒の開発など様々、ディスカッションしました。今野さんも真剣に聞いてくれました。
もちろん私も今後醸造する酒のイメージや思いなどを話し、ぜひ完成したらお願いするという約束をしました。

さて、地酒復活なのですが、なぜ日本酒も地元だけでなく遠くアメリカ等に販売しようとしているか記載します。

私達、世嬉の一酒造は、「いわて蔵ビール」というクラフトビールを醸造・販売しています。そして実はいわて蔵ビールはアメリカに2005年から輸出しています。最初は、1年間に5ケース120本の出荷でした。アメリカ西海岸のレストランオーナーがたまたま東京で当社のビールを飲んで仕入れたいというところからスタートです。

そこから、17年、コロナ過では一時ストップしましたが、今は年間4000ケース以上出荷しています。

最初は、地ビールが売れず、また地元からも地ビールなんて・・・といわれていた時代に、地域が自慢できるビールにしたい。また、スタッフたちにも自分たちのつくっている商品に自信をもってもらいたい。そう思って、クラフトビールの本場、アメリカかヨーロッパに輸出したいと思っていました。おかげで、今は順調にビールのファンも増え、スタッフたちも自信がついたと思います。

実は、地酒も世界に通用するブランドにしたいと思っています。会社の利益や出荷量を大きくするために輸出するのであれば、当然、アジア、特に中国に輸出するのが経営として正しいのかもしれませんが、私達はアメリカがいいと思っています。

僕らは、量や利益を求めすぎるのではなく、程よい量と適正な利益が得られればいいと考えています。それよりも重要なのは、地域の酒(ビールはジンも含みます)が世界で評価され、それが働く人、地域の人のプライドになることが大切と考えています。

そう考えると、新しい文化の発信拠点は世界でもNYやパリになります。なので、スズキマーケティング様とのご縁もできたので、様々準備しています。

地元を大切に、だけど世界に発信する清酒 世嬉の一にしたいと思います。

あと、もう一つは、スタッフとの出会いです。僕の経営の信条に「私もスタッフも良い人生をおくる」という考えがあり、常にスタッフにも話しています。

今野さんが入社したときは、醸造に関してかなり期待をして、今後一緒にやっていきたいと本気で考えていましたが・・・彼にも家族があり事情があります。でも単純にいいやつだったということで切れることなく、今は新しい事業に向けて頑張ってくれています。

会社の全体会議で、アメリカに支店?会社つくるよとみんなに話した際、みんなぽかーんとしているのを覚えています。実際にどうなるかわからないのですが、今野さんが渡米することは事実なので、世嬉の一として応援していきたいと思います。

工場が出来上がる前ですが、どんどん夢が膨らんできます。
これもひとえにご支援してくれる皆様がいるから、心配よりワクワクが勝っています。

本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

世嬉の一は、今日も元気に営業中です!

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6月24日朝8時にスタートしました。お客様と清酒世嬉の一を通じてあらたな輪をつくりたいです。そして、酒蔵復活、地酒復活を達成します。
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6月30日まで早割特典(7月1日から価格改正があります)
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Posted by sekinoichi at 08:08

2022年06月27日(月)

酒蔵復活プロジェクトが生まれるまで 其1~蔵を残し、活かす~

この写真は、三代目の父と母です。
倒産の危機の酒蔵をなんとか生き伸ばし、今の世嬉の一の土台をつくったのがこの二人です。

私達は、今父母と私が念願だった、酒蔵復活、地酒復活プロジェクトがスタートしました。

私が生まれたころ祖父が酒蔵を経営しており、父は祖父がスタートさせた新規事業である自動車学校を運営していました。時代は第二次ベビーブーム、自動車学校は順調に伸びていったのですが、酒の販売はどんどん衰退していったようです。

私が小学校の時、日々奔走していた祖父が脳溢血で急逝してしまいます。
その際、父と叔父が世嬉の一の決算をみたら、とっても経営できる状態ではなかったようです。具体的な金額はおいておきますが、年商の10倍の借金をしていたようです。

当然、父も叔父も酒屋は廃業、バブル期だったこともあり、この地を貸してほしいという企業がたたあったそうです。敷地が1500坪以上あるので、スーパーやシティホテルなどいい話が沢山あったようです。その際の賃料を聞くと非常にいい条件だったと思います。

父も叔父も酒蔵を廃業して蔵を壊し、土地を貸す予定だったそうです。

そんな中、祖母が「蔵を残してほしい」この蔵の風景を残してほしいと父に願い出たそうです。

借金も多く酒も売れず、地域からは来月倒産するといわれている蔵を残す・・・当時私がいたら絶対できない判断です。「しょうがないでしょう・・・」と言ったと思います。

しかし、父も「もったいない・・・経済的には蔵を壊し廃業するのが正しいけど、心が痛む」と思ったそうです。

そこで、何を思ったか、好調だった自動車学校を売却し、その資金で運転資金と借入金返済のめどを立てたそうです。周りからは、気違いだとか、金持ちの道楽といわれていたそうです。さらにやっぱり来月にはつぶれるらしいぞという噂があったそうです。

父もしばらくの運転資金はあったとは言え、酒の収入では厳しいのと、当時もう倒産するといわれている酒蔵だったので、どの酒屋さんも卸屋さんも取引してくれなかったそうです。

そこで、酒の醸造を共同醸造(他社と一緒に醸造する形)に変え、蔵をそのままに直売所、酒の民族文化博物館、レストランに改築しました。

計画的にというわけでなく・・・

直売所にしたのは、取引先がないので自分で売るしかなかった。

レストランは、借金を返済するのに日銭商売をするしかなかった。

博物館をつくったのは、地域に博物館がなかったからだそうです。

今見ると綺麗になっていますが、創業当初の蔵の外観はそのままです。蔵を残し活かしたのは、この蔵を設計したのが、小原友輔さんという方で、あの東京駅を設計した辰野金吾さんのお弟子さんの蔵だったのです。周りからは当時ずいぶん冷ややかな目で見られていた父母でしたが、数年後に国の登録指定文化財に指定され、残してまちがっていなかったと感じたそうです。

いまでいう、リノベーションを行って順調にいったかというと全然そうではなく、製造業から慣れないサービス業になるのがかなり大変だったようです。

母は、専業主婦からレストランの女将になり、大変だったようです。中学、高校の時は父母とも一緒にすんでいたのですが、ほぼ家で会うことが無く、毎朝5時から夜中まで働いて生活していました。

当時は醸造再開などという余裕もなく、明日を生きるということ、借金を返すということに明け暮れていたようです。

ただ、一生懸命働く父母を見ていて、多くの助けてくれる人が表れ、レストランは郷土料理レストランに、直売所にも観光客を派遣してくれる業者さんなど、徐々に世嬉の一が持ち直してきました。町おこしも父母は一生懸命おこなっていたおかげで、地域の人たちからもだんだん認められるようになったそうです。

私が30歳で実家にもどるようになったときには、世嬉の一さんの息子さんといわれるようになり、つぶれるとは言われませんでしたが、それまでの父母の姿を思い出すと感謝しかありません。よくやっていたなぁと思います。

父は町おこしも一生懸命で法改正があった際に地域の経営者と地ビール事業を始めます。今の「いわて蔵ビール」です。最初の三年はよかったのですが、その後会社の大赤字部門になり結果私が実家に帰ることになるのですが・・・今は会社を支える部門に成長しました。

少しづつ経営が安定してくると、やはり酒蔵復活の思いがでてきます。過去なんどかやろうということになったのですが、その都度、宮城県沖地震、岩手宮城内陸地震、東日本大震災と震度5~6強まで経験し、蔵が壊れ、それを修復するのにまた借金と返済をくりかえしていました。ちょうど10年ごとに地震は来ますね( ;∀;)

(東日本大震災で蔵の崩壊に呆然とする三代目)

毎回、蔵を修復して維持するのに、祖母がもったいないといわれたからと言いつつ、なぜだろうといつも思っていました。蔵の修復には通常の建築より費用がかかるので・・・

父から会社を引き継いだ時、一つの約束をさせられました。「蔵を残しなさい。たとえ借金してでも残せるなら残しなさい、この蔵の風景は一関の景観であり、資産であるから。たまたま世嬉の一が維持しているだけなので、この風景を次の代、孫の代まで残せるようにしなさい」と約束されました。

確かに、私たちの蔵の前を往来する園児、小学生、中学生、高校生がいます。高校を卒業すると98%市外に出ていってしまう地域ですが、この蔵の風景を残すことが彼らの故郷の風景を思い出と共に残すことになります。

父母のそのような思いから地震の度に蔵の修繕を優先し、酒蔵復活、蔵元復活、地酒復活はのびのびになっていましたが、いつかやろうとおもっていたプロジェクトなのです。

今やっとスタートラインに立つことができ、多くの人から現在も支援していただいています。私も、父母もスタッフも嬉しく思います。

酒蔵が復活しても父から引き継いだ考えを実行していく場として清酒工場を活用していこうと思います。

私なりに引き継いだ考えは、下記の3点です。

「根本・長期・全体」でみる。

「根本:目先の利益にこだわらず、良心にいいなぁとおもうことを行うこと」

「長期:今だけでなく、子供の世代、孫の世代にとっていいことを行うこと」

「全体:自利ではなく、家族、地域にとっていいことを行うこと」

父母から教わったこととして、私個人の判断基準になっています。

今回の酒造り復活もこの3点からこの地域に必要なこととしてちょっと無理して実行しています。今後とも何とぞよろしくお願いします。

孫と楽しむ三代目

今日も世嬉の一は、三点の視点を大切に元気に営業中です!

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Posted by sekinoichi at 09:02

2022年06月26日(日)

東京でイベントを行いました。お客様と直接触れることで得られることが多いです。

 

昨日は久しぶりに東京でリアルイベントを行いました。場所は赤坂見附にあるお店、東北カフェバル トレジオンポートです。

こちらの店長のカズさんは、岩手出身の方で今回このようなイベントがスタートしました。

私は最終日の16時にお店到着し、お客様と直接交流できる機会をいただきました。

おかげさまでお客様が沢山ご来店いただき、お客様から沢山いいお話をできました。

例えば、なぜお酒に醸造用アルコールいれるのですか?

このビールはフルーツはいっていないのに柑橘系の香りが強いですね。どうしてですか?

などなど沢山お話できました。

ビールだけでなく日本酒やこはるコーラ、ジンジャーエール、ジンなどもご提供できました。

お料理も東北各地の食材をつかったお料理です!

お料理もおいしかったです。

ただ、お客様に人気で、8時の段階で、すべてのビールが完売、しばらくすると日本酒もジンも完売と・・・・

せっかく世嬉の一の会にきていただいたのですが、乾杯は7時に行っただけで、あとは普通に飲んでいました(笑)

店長のカズさんも申し訳ないを連発していました。

土曜の夕方以降にせっかくご来店いただいたお客様に当社の商品をご提供できず、本当に申し訳なかったです。

ただ、皆様と交流できお客様目線のご意見を多数いただき勉強になりました。

ちょうど、今酒の工場を作っているので今後の新しい日本酒を作る際の参考になり、今後の商品開発に活用できます。

私は、どんなに忙しくても、定期的にお客様と直接交流できる機会を作っていきたいと思います。

本当にありがとうございます!

カズくんがまたやりましょうと終わり際に頼まれました。ありがたいです。ぜひ第二弾を今年中に行いますのでよろしくお願いします。

トレジオンポートのスタッフの皆様には本当にお世話になりました。

ありがとうございます

今日も世嬉の一はお客様から貴重なご意見をいただき元気に営業中です。

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Posted by sekinoichi at 11:24

2022年06月20日(月)

酒蔵復活プロジェクト、クラウドファンドを行います。6月24日からです。是非よろしくお願いします。

今日も30度越えの世嬉の一、ちょっと出張とか行っている間に、世嬉の一ファームは雑草だらけになりました!びっくり、無農薬栽培って大変なんだなぁと感じています。

ただ、収穫もありましたよ!

 

今年の初物はみずみずしい胡瓜でした。これから収穫の楽しみがどんどん出てきます。

さて、今日はご紹介の記事です。私達、親子二代の夢であった、この地での酒蔵復活プロジェクトですが、順調に工事は進んでいるのですが、世の中の動きもあり、順調に工事費もかさんでしまい( ;∀;)

酒蔵復活プロジェクトのクラウドファンドを24日からスタートします。

下記が限定公開している、当社のクラウドファンドです。

https://camp-fire.jp/projects/584549/preview?token=38b4fr7u

当社では、祖父の急逝により世嬉の一自体の経営が危ぶまれ、父は蔵を残すため、共同醸造という形をとり、遊休施設を郷土料理レストランや直売所、博物館にしました。

ただ、製造業からサービス業への大転換だったため、なかなか経営が軌道に乗らず、苦労しました。
その後地ビール解禁になり、地ビール事業(現クラフトビール事業)を起こし、今まで経営していました。今までも何度か酒蔵復活プロジェクトを立ち上げようとおもったのですが、東日本大震災があったり、コロナ過で余裕がなくなったりしたのですが、今回、思い切って、親子二代の悲願だった酒蔵復活プロジェクトをおこなったのです。

爺さんの代の蔵人たち。

今のスタッフたち!

実は、旧一関地区には、実際に醸造する場所がなくなってしまいました。
数年前に、この地区でもっとも大きかった両磐酒造様が敷地をスーパーにし、醸造を平泉町に移転になり、旧一関地区から地酒がなくなりました。

地域の方々からも地酒復活に熱い要望もあり、私達がチャレンジしています。

こちらの蔵を酒蔵にしようと今内部を工事しています。

震災の際は、蔵が崩れて隣の家に多大なご迷惑をかけてしまったのですが、この10年の間に床をきちんとし、倒壊しないように工事も行いました。
そこで、内部に機械をいれて工事をしています。

糀室も創りました。
搾り機も冷蔵庫の中で行います。

ビールタンクのような発酵・熟成タンクも入れました。

このような、工場で再会できるのは、多くのお客様、ファンの皆様のおかげです。ありがとうございます。新しい清酒工場は伝統的な石蔵を活用し、新しい機材設備を導入し次のような酒造りを目指します。

・タンク・搾り機等にも冷蔵設備を導入して温度管理を徹底し、品質向上を図る。
・ビール醸造技術を応用し、ボトリング等を改善し、酸化防止の醸造を行う。
・耐圧タンクを導入し、スパークリング酒・リキュールなど楽しい酒造を創る。
・醸造技術習得の若い人材を育成していく。
・この地域を清酒でも盛り上げます。
尚、新しく造る酒は、清酒「世嬉の一」という銘柄はそのままで、新デザインも現在考えていただいております。


着々と準備が整っているのですが、工事期間中に起こったウクライナ戦争で工事費もどんどん値上がりしてしまい、かなり不安になって来ています。
そこでクラウドファンドのキャンプファイヤー様に相談し、今回クラウドファンドを立ち上げることになりました。返礼品は、まだ販売していないこれから新工場でできるお酒ではありますので、お渡しにちょっと時間がかかりますが、ぜひご協力頂ければ幸いです。

クラウドファンドは24日8時からスタートします。下記のサイトからです。

https://camp-fire.jp/projects/584549/preview?token=38b4fr7u

ぜひぜひよろしくお願いします。
ご支援いただいた場合、当社の既存商品または、新規商品(これから新工場で醸造する日本酒)をお送りします。ちょっと工場が完成後になるのでお時間がかかりますが、何卒よろしくお願いします。

今日も世嬉の一はお客様と共に新しいことにチャレンジし、元気に営業中です。

 



Posted by sekinoichi at 06:37

2022年06月08日(水)

酒蔵復活プロジェクト!タンクが立った!

最近雨が多い世嬉の一です。低温注意報も出ていて、田畑が気になりますが、愛心幼稚園のもち米田んぼは元気に育っております。

さて、今日は酒蔵復活プロジェクトについてです。約40年前、祖父の急逝により経営不振に陥った世嬉の一を立て直すべく、父は、酒の工場を共同醸造の形で残し、残った蔵を郷土料理レストランや直売所、地ビール工場にして生き延びてきました・・・本当に零細企業だから生き延びた・・・という表現がぴったりきます。

そんな、親子二代にわって念願だった、酒蔵復活・・・この地でもう一度地酒を造り続けること・・・でした。やっとスタートして、今工場?工房?を造っています。

今日は寝かせていたタンクが立ちました!

アルプスのハイジの様に、クララが立ったよ~と感動する感じです。

手作業で立たせるのですね。やぐらを組んで重いタンクを上げていきました。

タンクが立って、並び始めると存在感がありますね。まるでクラフトビール工場のようですが、全て清酒に使用します。清酒が使用できるようにちょっと図面をいろいろ変えました。

このタンクは温度管理を1タンクごとできます。そして耐圧タンクのため、発泡性の日本酒も容易に醸造できるようになります。楽しみです。

結構存在感がありますね。これから細かい配置決め、さらに、他のタンクも入れ、徐々に酒蔵ができてきます。倉庫だった蔵がこれから活躍する場になると思うと嬉しくなります。

毎日ちょっとづつ静かに動いております。

今日も世嬉の一は祖業を大切にして、元気に営業中です。

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こはるコーラ



Posted by sekinoichi at 07:31