世嬉の一酒造

蔵元だより

大吟醸 世嬉の一 720ml

アーカイブ:2022年6月

2022年06月30日(木)

以前より日本酒女子会様に助けていただき、蔵元復活プロジェクトは進んでいました。

酒蔵復活プロジェクト、地酒復活プロジェクトは実はずっと前から何度かチャレンジしておりました。ただ、40年ぶりとなる酒造りですので、不安も多々あったのも事実です。

もちろん、酒造りに関しての勉強は行っていたのですが、現在、当社の酒の販売は、ほぼ95%自社の売店やレストランで販売していて業界についてあまり知りませんでした。

そんな中、日本酒女子会の代表の氏家エイミー様とお会いするきっかけがあり、ぜひ一度相談にのっていただけないかとお願しました。氏家様は様々な角度で酒業界を盛り上げていただている方と若い感性、特に女性の感性をもって日本酒にせっしているのですごく勉強になりました。

その際に酒蔵復活の為に、動画をつくっていただりたのが下記の動画です。

2018年初頭でした。

そこから2022年まですでに3年もたっているのですね。
コロナもあったのですが、慎重に事業を考えていた(悩んでいた・・・)というのもあります。
どんな酒を造りたいか・・・それを考えていた時間でもあります。

なので、日本酒女子会様に下記のようなイベントもお願いして開催しました。
お客様に好きな日本酒を持ってきてもらい、それを説明、飲んでもらうというイベントです。

ちょっと女性に囲まれて、恥ずかしかったこともありますが、すごく参考になったイベントでした。

よく組合では、日本酒が飲まれなくなった、日本酒離れがおきているなど、ちょっと悲観的な話が多いですが、このようなイベントをするときちんとしたお酒を醸造することでお客様の幸せに寄与できるのだなぁと思いました。

日本酒女子会の皆様には本当にお世話になっております。これからもよろしくお願いします。

ちなみに・・・私は長年坊主(15年くらい)でした。コロナがあけるまででちょっと髪を伸ばそうと思ったら、かなり伸びてしまったので、現在の写真と異なっているはご容赦ください。

ちょっと前までの私(四代目 佐藤 航)

現在の私の髪形・・・また坊主に戻ると思いますが・・・
写真撮影は、今工事している蔵の壁の前です。元搾り場だったのですが、壁には当時の杜氏さんが書いたメモが残っています。

クラウドファンドはいったんの目標は達成しておりますが・・・
もともとクラウドファンドを通じてお客様とのつながりを作り、地酒復活を並走していただける仲間を募集するため始めました。
世嬉の一は14名の小さい会社ですが、これから清酒を通じて、田舎から多くの仲間と繋がり、進んでいきたいと思います。
世嬉の一の社名の由来は、「世の人々が嬉しくなる一番の酒造りを目指す」です。ここから経営理念、『「幸せの創造」~私達は仕事を通じて、お客様の笑顔を創り、その輪を少しづつ大きくしていきます。~』とスタッフと共に決定しています。
今回のクラウドファンドを行ったのもこの経営理念を実施するためになっています。
ですので、まだまだ継続して行っていきますので、応援よろしくお願いします。
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6月24日朝8時にスタートしました。お客様と清酒世嬉の一を通じてあらたな輪をつくりたいです。そして、酒蔵復活、地酒復活を達成します。
ぜひ応援よろしくお願いします。

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Posted by sekinoichi at 11:32

2022年06月28日(火)

地酒復活ですが、良い出会いで、海外も視野に入れています!たぶん・・・

昨日、アメリカで日本酒、クラフトビール、ジンや日本の食文化を紹介・販売するスズキマーケティングのリチャードさん(中央)が来てくれました。アメリカから来日されていたので、当社にお寄りいただきました。

もちろん、酒蔵の見学と今後の展開についてディスカッションのためです。

紺色のTシャツの男の子は、元当社の社員の今野君。当社で蒸留の仕事やビール醸造を行っていましたが、奥様がアメリカ出身で、家庭の事もあり奥様のご実家に行くことになり退社した若者です。

(ジンを蒸留する今野さん)

彼から、会社を続けたいけど、家庭も大切だから、奥様のために退社して渡米すると相談を受けました。その時に、今野さんと話しているうちに・・・以前、JETROの商談会でサンフランシスコでお会いした、スズキマーケティング様を思い出したのです。

そこでひらめきました!
今野さん、うちの酒とかビールをアメリカで紹介できる仕事をしたらと・・・彼も乗り気になってくれました。

さっそく、スズキマーケティングの鈴木様とFaceBookでつながっていたので、さっそくZOOMで今野さんを雇ってくれないか、もし雇わらなくても勉強させてくれないかと頼んだのです。

スズキマーケティング様も快く引き受けてくれて、そこから準備が始まっています。

工場できる前に、なぜかアメリカの販路ができた瞬間でした(笑)

今野さんには、渡米する前に酒造りも知ってもらおうと体験醸造勉強もしてもらいました。

糀室でがんばる今野さん

(全国地ビールフェスの前掛けで櫂入れする今野さん)

さて、リチャードさんは非常に気さくな方ですが、酒に関しては造形が深く、アメリカのライフスタイルにあう、日本酒の開発、古酒の開発、スパークリング酒の開発など様々、ディスカッションしました。今野さんも真剣に聞いてくれました。
もちろん私も今後醸造する酒のイメージや思いなどを話し、ぜひ完成したらお願いするという約束をしました。

さて、地酒復活なのですが、なぜ日本酒も地元だけでなく遠くアメリカ等に販売しようとしているか記載します。

私達、世嬉の一酒造は、「いわて蔵ビール」というクラフトビールを醸造・販売しています。そして実はいわて蔵ビールはアメリカに2005年から輸出しています。最初は、1年間に5ケース120本の出荷でした。アメリカ西海岸のレストランオーナーがたまたま東京で当社のビールを飲んで仕入れたいというところからスタートです。

そこから、17年、コロナ過では一時ストップしましたが、今は年間4000ケース以上出荷しています。

最初は、地ビールが売れず、また地元からも地ビールなんて・・・といわれていた時代に、地域が自慢できるビールにしたい。また、スタッフたちにも自分たちのつくっている商品に自信をもってもらいたい。そう思って、クラフトビールの本場、アメリカかヨーロッパに輸出したいと思っていました。おかげで、今は順調にビールのファンも増え、スタッフたちも自信がついたと思います。

実は、地酒も世界に通用するブランドにしたいと思っています。会社の利益や出荷量を大きくするために輸出するのであれば、当然、アジア、特に中国に輸出するのが経営として正しいのかもしれませんが、私達はアメリカがいいと思っています。

僕らは、量や利益を求めすぎるのではなく、程よい量と適正な利益が得られればいいと考えています。それよりも重要なのは、地域の酒(ビールはジンも含みます)が世界で評価され、それが働く人、地域の人のプライドになることが大切と考えています。

そう考えると、新しい文化の発信拠点は世界でもNYやパリになります。なので、スズキマーケティング様とのご縁もできたので、様々準備しています。

地元を大切に、だけど世界に発信する清酒 世嬉の一にしたいと思います。

あと、もう一つは、スタッフとの出会いです。僕の経営の信条に「私もスタッフも良い人生をおくる」という考えがあり、常にスタッフにも話しています。

今野さんが入社したときは、醸造に関してかなり期待をして、今後一緒にやっていきたいと本気で考えていましたが・・・彼にも家族があり事情があります。でも単純にいいやつだったということで切れることなく、今は新しい事業に向けて頑張ってくれています。

会社の全体会議で、アメリカに支店?会社つくるよとみんなに話した際、みんなぽかーんとしているのを覚えています。実際にどうなるかわからないのですが、今野さんが渡米することは事実なので、世嬉の一として応援していきたいと思います。

工場が出来上がる前ですが、どんどん夢が膨らんできます。
これもひとえにご支援してくれる皆様がいるから、心配よりワクワクが勝っています。

本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

世嬉の一は、今日も元気に営業中です!

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Posted by sekinoichi at 08:08

2022年06月27日(月)

酒蔵復活プロジェクトが生まれるまで 其1~蔵を残し、活かす~

この写真は、三代目の父と母です。
倒産の危機の酒蔵をなんとか生き伸ばし、今の世嬉の一の土台をつくったのがこの二人です。

私達は、今父母と私が念願だった、酒蔵復活、地酒復活プロジェクトがスタートしました。

私が生まれたころ祖父が酒蔵を経営しており、父は祖父がスタートさせた新規事業である自動車学校を運営していました。時代は第二次ベビーブーム、自動車学校は順調に伸びていったのですが、酒の販売はどんどん衰退していったようです。

私が小学校の時、日々奔走していた祖父が脳溢血で急逝してしまいます。
その際、父と叔父が世嬉の一の決算をみたら、とっても経営できる状態ではなかったようです。具体的な金額はおいておきますが、年商の10倍の借金をしていたようです。

当然、父も叔父も酒屋は廃業、バブル期だったこともあり、この地を貸してほしいという企業がたたあったそうです。敷地が1500坪以上あるので、スーパーやシティホテルなどいい話が沢山あったようです。その際の賃料を聞くと非常にいい条件だったと思います。

父も叔父も酒蔵を廃業して蔵を壊し、土地を貸す予定だったそうです。

そんな中、祖母が「蔵を残してほしい」この蔵の風景を残してほしいと父に願い出たそうです。

借金も多く酒も売れず、地域からは来月倒産するといわれている蔵を残す・・・当時私がいたら絶対できない判断です。「しょうがないでしょう・・・」と言ったと思います。

しかし、父も「もったいない・・・経済的には蔵を壊し廃業するのが正しいけど、心が痛む」と思ったそうです。

そこで、何を思ったか、好調だった自動車学校を売却し、その資金で運転資金と借入金返済のめどを立てたそうです。周りからは、気違いだとか、金持ちの道楽といわれていたそうです。さらにやっぱり来月にはつぶれるらしいぞという噂があったそうです。

父もしばらくの運転資金はあったとは言え、酒の収入では厳しいのと、当時もう倒産するといわれている酒蔵だったので、どの酒屋さんも卸屋さんも取引してくれなかったそうです。

そこで、酒の醸造を共同醸造(他社と一緒に醸造する形)に変え、蔵をそのままに直売所、酒の民族文化博物館、レストランに改築しました。

計画的にというわけでなく・・・

直売所にしたのは、取引先がないので自分で売るしかなかった。

レストランは、借金を返済するのに日銭商売をするしかなかった。

博物館をつくったのは、地域に博物館がなかったからだそうです。

今見ると綺麗になっていますが、創業当初の蔵の外観はそのままです。蔵を残し活かしたのは、この蔵を設計したのが、小原友輔さんという方で、あの東京駅を設計した辰野金吾さんのお弟子さんの蔵だったのです。周りからは当時ずいぶん冷ややかな目で見られていた父母でしたが、数年後に国の登録指定文化財に指定され、残してまちがっていなかったと感じたそうです。

いまでいう、リノベーションを行って順調にいったかというと全然そうではなく、製造業から慣れないサービス業になるのがかなり大変だったようです。

母は、専業主婦からレストランの女将になり、大変だったようです。中学、高校の時は父母とも一緒にすんでいたのですが、ほぼ家で会うことが無く、毎朝5時から夜中まで働いて生活していました。

当時は醸造再開などという余裕もなく、明日を生きるということ、借金を返すということに明け暮れていたようです。

ただ、一生懸命働く父母を見ていて、多くの助けてくれる人が表れ、レストランは郷土料理レストランに、直売所にも観光客を派遣してくれる業者さんなど、徐々に世嬉の一が持ち直してきました。町おこしも父母は一生懸命おこなっていたおかげで、地域の人たちからもだんだん認められるようになったそうです。

私が30歳で実家にもどるようになったときには、世嬉の一さんの息子さんといわれるようになり、つぶれるとは言われませんでしたが、それまでの父母の姿を思い出すと感謝しかありません。よくやっていたなぁと思います。

父は町おこしも一生懸命で法改正があった際に地域の経営者と地ビール事業を始めます。今の「いわて蔵ビール」です。最初の三年はよかったのですが、その後会社の大赤字部門になり結果私が実家に帰ることになるのですが・・・今は会社を支える部門に成長しました。

少しづつ経営が安定してくると、やはり酒蔵復活の思いがでてきます。過去なんどかやろうということになったのですが、その都度、宮城県沖地震、岩手宮城内陸地震、東日本大震災と震度5~6強まで経験し、蔵が壊れ、それを修復するのにまた借金と返済をくりかえしていました。ちょうど10年ごとに地震は来ますね( ;∀;)

(東日本大震災で蔵の崩壊に呆然とする三代目)

毎回、蔵を修復して維持するのに、祖母がもったいないといわれたからと言いつつ、なぜだろうといつも思っていました。蔵の修復には通常の建築より費用がかかるので・・・

父から会社を引き継いだ時、一つの約束をさせられました。「蔵を残しなさい。たとえ借金してでも残せるなら残しなさい、この蔵の風景は一関の景観であり、資産であるから。たまたま世嬉の一が維持しているだけなので、この風景を次の代、孫の代まで残せるようにしなさい」と約束されました。

確かに、私たちの蔵の前を往来する園児、小学生、中学生、高校生がいます。高校を卒業すると98%市外に出ていってしまう地域ですが、この蔵の風景を残すことが彼らの故郷の風景を思い出と共に残すことになります。

父母のそのような思いから地震の度に蔵の修繕を優先し、酒蔵復活、蔵元復活、地酒復活はのびのびになっていましたが、いつかやろうとおもっていたプロジェクトなのです。

今やっとスタートラインに立つことができ、多くの人から現在も支援していただいています。私も、父母もスタッフも嬉しく思います。

酒蔵が復活しても父から引き継いだ考えを実行していく場として清酒工場を活用していこうと思います。

私なりに引き継いだ考えは、下記の3点です。

「根本・長期・全体」でみる。

「根本:目先の利益にこだわらず、良心にいいなぁとおもうことを行うこと」

「長期:今だけでなく、子供の世代、孫の世代にとっていいことを行うこと」

「全体:自利ではなく、家族、地域にとっていいことを行うこと」

父母から教わったこととして、私個人の判断基準になっています。

今回の酒造り復活もこの3点からこの地域に必要なこととしてちょっと無理して実行しています。今後とも何とぞよろしくお願いします。

孫と楽しむ三代目

今日も世嬉の一は、三点の視点を大切に元気に営業中です!

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Posted by sekinoichi at 09:02

2022年06月26日(日)

東京でイベントを行いました。お客様と直接触れることで得られることが多いです。

 

昨日は久しぶりに東京でリアルイベントを行いました。場所は赤坂見附にあるお店、東北カフェバル トレジオンポートです。

こちらの店長のカズさんは、岩手出身の方で今回このようなイベントがスタートしました。

私は最終日の16時にお店到着し、お客様と直接交流できる機会をいただきました。

おかげさまでお客様が沢山ご来店いただき、お客様から沢山いいお話をできました。

例えば、なぜお酒に醸造用アルコールいれるのですか?

このビールはフルーツはいっていないのに柑橘系の香りが強いですね。どうしてですか?

などなど沢山お話できました。

ビールだけでなく日本酒やこはるコーラ、ジンジャーエール、ジンなどもご提供できました。

お料理も東北各地の食材をつかったお料理です!

お料理もおいしかったです。

ただ、お客様に人気で、8時の段階で、すべてのビールが完売、しばらくすると日本酒もジンも完売と・・・・

せっかく世嬉の一の会にきていただいたのですが、乾杯は7時に行っただけで、あとは普通に飲んでいました(笑)

店長のカズさんも申し訳ないを連発していました。

土曜の夕方以降にせっかくご来店いただいたお客様に当社の商品をご提供できず、本当に申し訳なかったです。

ただ、皆様と交流できお客様目線のご意見を多数いただき勉強になりました。

ちょうど、今酒の工場を作っているので今後の新しい日本酒を作る際の参考になり、今後の商品開発に活用できます。

私は、どんなに忙しくても、定期的にお客様と直接交流できる機会を作っていきたいと思います。

本当にありがとうございます!

カズくんがまたやりましょうと終わり際に頼まれました。ありがたいです。ぜひ第二弾を今年中に行いますのでよろしくお願いします。

トレジオンポートのスタッフの皆様には本当にお世話になりました。

ありがとうございます

今日も世嬉の一はお客様から貴重なご意見をいただき元気に営業中です。

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Posted by sekinoichi at 11:24

2022年06月26日(日)

新しい素晴らしい輪をつくるために!クラウドファンドを挑戦し続けます!

この写真は震災時に私たちの元気を伝えるために乾杯の写真と共に、事業再開を祝った写真です。あれから11年やっと酒蔵復活、地酒復活プロジェクトがスタートすることができました!

いままで何度も酒蔵復活のため、事業を起こそうとするたびに震災など別なことで忙殺され実行できずにおりました。遅々として進まず焦っていた時期もあります。ただ、経営を左右する事態が多く目の前のことをとにかく一生懸命すごさなくてはならず、新規プロジェクトを行うには全くできませんでした。
蔵元復活プロジェクトのスタートが遅々としてすすまず、その時間がどんどん長くなるにつれ、焦りもしましたが、私たち世嬉の一スタッフの中で清酒づくりがどんどん濃縮され、私たちのつくりたいお酒の方向性が見えたと思うと必要な時間だったのかもしれません。

そして、今回とうとう実施することができました。

まだスタートラインにたっただけですが、ワクワクが止まりません。

そんなかキャンプファイヤー様の仕組みをつかってクラウドファンドを実施した理由は、このような時期なので工事費があがり不安だったため、資金集めという側面もありますが、

もう一つは、私たちの清酒「世嬉の一」を通じてお客様とよりよい輪をつくりその輪をどんどん広げていきたいと思ったからです。

私たちの経営理念は、社名「世嬉の一」の由来となる「世の人々が嬉しくなる一番の酒造りを目指す」から経営理念が設定されています。

それは、

「幸せの創造」~私達は仕事を通じて、お客様の笑顔を創り、その輪を少しづつ大きくしていきます。~

ということです。今まで、自社で製造するクラフトビール「いわて蔵ビール」や郷土料理レストラン「世嬉の一」でこの理念を実行しようと努力してきました。
そして、今回は祖業である清酒製造で、この理念「幸せの創造」~私達は仕事を通じて、お客様の笑顔を創り、その輪を少しづつ大きくしていきます。~を実行していきたいと思います。

ですので、このクラウドファンドを通じてお客様と最初の接点にしていきたいと思います。

今後クラウドファンドでご支援していただいたお客様には、返礼品をおおくりするだけでなく、清酒工場の内覧会や試飲会などポイントポイントでお客様と直接お会いできる機会を作りたいと思います。なにとぞよろしくお願いします。

そのため、おかげさまで、初日に目標の100万円を達成したのですが、私たちの目的はなるべく多くのお客様と一緒の方向で新しい酒造りを目指していくことですので継続して行っていきます。なにとぞよろしくお願いします。

そして今回ご支援いただいたお客様、本当にありがとうございます。

まだまだスタートに立ったばかりです。これから皆様に感謝しつつ気を引き締めて進んでいきたいと思います。

今日も世嬉の一は新しい楽しい輪をひろげ、元気に営業中です。

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6月24日朝8時にスタートします。ぜひ、地酒復活の応援よろしくお願いします。



Posted by sekinoichi at 01:29